「命」と向き合い魂を輝かせて人生を生きるということ

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先日、国際ヒーリング看護協会主催のイベント「命輝く医療とは」に参加してきました☆
生と死を考え、命と向き合うということをテーマにしたイベントです。

イベントでは、「生死~いきたひ~」というドキュメンタリー映画が上映されました。

この映画では、製作者である長谷川裕子監督が、夫を4人のこどもたちと在宅で看取るという実体験と、他にも在宅で家族を抱いて看取った人々のインタビューや看取り士さんのお話などがまとめられていました。

KIMG0501 長谷川裕子監督

私も看護師として病院では何人もの患者さんを看取らせていただきましたが、死というのは何度立ち合っても自分の中では辛く悲しいものとしか思えませんでした。

自分が死ぬ時は、死んだら何も解らなくなるのだからとりあえず楽な最期でありたい、綺麗なままでありたい・・・などと、生きることと死を全く別のもので、見たくないものとして思っていました。

また、身近な自分の大切な人たちの死は「まだ考えたくない」といつも思ってきました。

けれども、間違いなく死は誰にでも訪れるものであり、人生を締めくくる大切な瞬間です。

そんな大切な瞬間をどう迎えたいのかを考えるということは、人生を生き抜く上で向き合わずにはいられないことなのですよね。

今回のイベントを通して、人がどのように生まれてどのように亡くなっていくのかということに、意識を向けて見つめることで、より命の尊さを感じることができるように思いました。

映画の後には、自分自身が臨終の時をイメージするという時間がありました。

自分が死ぬイメージなんて以前であれば恐ろしくてしたくなかったでしょうが、長谷川監督の誘導に従って目を閉じてイメージすると、肉体から抜け出た魂の自分が横たわる自分の姿を見つめていました。

その時感じたのは恐怖や悲しみなどではなく、自分の体に対する「ありがとう」という想いでした。

ずっとずっとがんばってくれていた自分の体、まるで大切な親友のような不思議な感じがしました。

そして目を開けてみると、自分のことがこれまでよりも大切な存在のように思えてきました。

私が初めて経験した身近な存在の死は、父方の祖母です。
当時私はまだ幼く、人が死ぬということがよく解りませんでしたが、目の前に横たわる祖母の姿は祖母だけれど祖母ではないような変な感覚を感じたのを覚えています。

祖母だけれど、この体の中には祖母はいないというか、上手く説明できないのですが・・・祖母はどこに行ったのだろう、人は亡くなとどこに行くのだろうと、よく考えていました。

魂の存在は信じないという人もいるし、私もその存在を証明することはできません。

ですが、亡くなる直前まで自分と同じように何かを考えたり感じたりしていた心が、死とともに全て無くなってしまうというのはどうにも理解し難くて、肉体を離れて魂は生き続けると考えた方が私には自然なように思えるのです。

そして、1つの人生を終えて人生をともにした肉体は消えてしまっても、魂はどこかに存在し続けると考えると、大切な人や動物の死も決して辛く悲しいものではなくなるような気がします。

とは言え、どんな形で人生が終わっても良いのではなく、ましてや誰かの手によって強制的に人生を終わらされてしまうなどということはもっての他なことです。

しっかりと生き抜いて、「最高の人生だった」と心底思えることは、本人にとってはもちろん、看取る人にとっても今後の人生を生きる上でとても大切なことではないかと思います。

「生死~いきたひ~」のプロローグ動画はこちらです。

読んでいただきありがとうございました☆

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